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ウズベキスタンの民族

ウズベク人は、中央アジア南部地域で最も人口の多い民族で、テュルク(トルコ)語系のウズベク語を話し、宗教はおおむねイスラーム教スンニ派である。

その多くは、ウズベクという民族名を国名としたウズベキスタンに住んでいるが、アフガニスタンに222万人、タジキスタンに168万人、キルギスに39万人、トゥルメニスタンに43万人、中国新彊ウイグル自治区にも少数いる。

「ウズベク(独立独歩という意味)」という民族の名前は14世紀前半の現在のカザフスタン南部の君主ウズベク・ハンに由来すると言われている。その後、ムハンマド・シャイバーニー・ハン率いる遊牧軍団が15世紀末、現在のウズベキスタン領域に侵出し、16世紀初め、ティムール朝を滅ぼしたことを契機に「ウズベク」という名称が中央アジアにもたらされることになった。 しかし、現在のウズベキスタンにおいて、一般の人々には、ウズベク人のルーツはアムダリヤ川とシルダリヤ川の間のオアシス地域に古代から定住し、灌漑農業を営んできた人々だと思われている。

ウズベキスタンには、ロシア人人口が約100万人と多い。しかし、純粋なロシア人は少なくウクライナ人、ベラルーシ人、ドイツ人、ユダヤ人、タタール人、朝鮮人など様々な民族との混血が多い。中央アジアには、旧ソ連の朝鮮人の約7割が住んでいる。その大半がスターリン体制下の1937年に共産党によって強制移住させたれた人々で、その人数1,721万人であった。現在、ウズベキスタンには約17万人が住んでいる。中央アジアの朝鮮人はロシア語を母語とし、名前もロシア人の名前が一般的である。

現在の国境は、ソ連によって決定されたもので、かつてイスラーム教徒として、あるいは住む都市や出身部族に基づいたアイデンティティーを持ち、ペルシャ系のタジク人とも混在し、きわめて多様であったテュルク系定住民族は、ソ連体制のもとで「ウズベク」という名称のもとに統合された。ソ連の民族政策と1920年半ばに行われた中央アジア民族別国境画定により、共和国が成立した。当時、タジク人が多数だったサマルカンドやブハラが、ウズベク人の国ウズベキスタンに統合されたのも民族国境を政治的に拡張した結果である。

このようにウズベキスタンは様々な民族で構成され、言葉も文字も、生活習慣も様々な人々が共存し、独自の文化が発展する国である。

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