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ブハラ

ブハラは中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心となった町である。

旧市街地ブハラは6世紀の中国の旅行記によると、紀元前2世紀から重要な町であったという。ウイグル人は「ブハル」と呼び、偶像神の居場所という意味であった。またロシアの学者は、ブハラという言葉の語源はサンスクリットで「ビハラ」僧院という意味だという。イスラームの世界では「ブハライ・シャリフ」聖なるブハラと呼ばれている。2500年以上の歴史を持つと言われ、シルクロードの重要な十字路でもあった。

古い歴史の中、ブハラの町には様々な伝説がある。例えば、イランの王子がブハラを訪れ、アフラシヨブ王の娘と結婚し、そこで城(アルク)を造った。スキタイ民族、ペルシア王のダリ、アレキサンダー大王、チンギス・ハーン、ティムールのような王様がブハラに来た。時々、青い目をして金髪の巻き毛の地元の人を見かけることもあるが、これはアレキサンダー大王がインドに向かう海外遠征時に、しばらく中央アジアに留まっていたからだという。ブハラにはどの世紀にも世界に知られた学者や作家や画家などの創作者がいた。14世紀にイタリアの旅行家のマルコ・ポーロがブハラを訪れ、巨大都市と強調した。

ブハラの黄金時代は、9世紀のサーマーン朝時代から始まるが、その繁栄は1220年のチンギス・ハーンの襲来で灰燼と化した。16世紀のシャバイニ朝になって再び蘇り、多くのモスクやマドラサが建設され、宗教的な充実に富が注ぎ込まれた。この頃の街並みが今日まで殆ど変化していないという。

1993年、ブハラ歴史地区はユネスコの世界遺産に文化遺産として登録された。保存された中世の街並は、ウズベキスタン観光の見どころである。

 

ブハラの見どころ

ラビ・ハウズ
ラビハウズ

1620年ハーンの高官であるナディール・ディヴァンベギによって作られた。ハウズ(46×36m)東西に細長い造り。ブハラの一番有名な場所である。ここから観光をスタートすると良い。この周りには、北にクカリダシュ・マドラサ、東西にナディール・ディヴァンベギ・マドラサとナディール・ディヴァンベギ・ハナカで囲まれている。2011年5月現在ラビ・ハウズ周辺は改築中。

チャル・ミナール
チャルミナール

町の北東部に17世紀初頭の珍しい建築物チャル・ミナールがある。「4本のミナレット」という意味。チャル・ミナールはトゥルクメン人の富豪ハリフ・ニヤズクリにより建てられ、よく保管されている。建設開始の年は1807年だが、これが正確ではない。記録公文書類では17世紀末に既に存在したということが分かる。

タキ・バザール
タキバザール

16世紀にブハラでは商業を活発化させるように、大通りの交差点に丸屋根で覆ったバザールが造られた。タキは町の中心にあり、人通りが多く、売買が活発に行われた。現在、ブハラには3つのタキが残っている。かつては特に、宝石職人が様々な宝石でアクセサリーを作って売っていたが、今はそれだけでなく、色々な工房があり、お土産が豊富である。

マゴキ・アッタリ・モスク
マゴキアッタリモスク

アラビア戦略まで、ここには仏像や薬やアットル・香りのあるものを商売するバザールがあった。また、そこにはモヒ(月の)寺があり、時代と共にモスクに変えられた。モスク名の前文の「マゴキ」は穴を意味する。1934年に発掘されるまで殆どの部分が埋まっていた。モスクの下には6世紀のゾロアスター教の神殿が発見され、さらにその下からクシャン朝期の仏教寺院の跡も見つかった。

ウルグベック・マドラサ
ウルグベクマドラサ

ティムールの孫、天文学者のウルグベックに建てられた3つマドラサの中で一番古い。マドラサの設計とデザインが均衡を保っているところが人々を感動させる。入口のアーチには「知識を増やす事は全てのイスラーム教徒の義務である」「本を友とする人々に常に神の恵みへの扉が開いていますように」と言う意味の言葉が書かれている。

 

ポイ・カラーン広場
ポイカラーン広場

ブハラ旧市街の中心地。モスク、ミナレット、マドラサがある。16世紀、イスラーム教の高級教師シェイフ・ミル・アラブによってミル・アラブマドラサが建てられた。その向かい側にカラーン・モスクがある。795年にアラブ人によって最初のモスクが建てられて以来、常に金曜モスクが置かれてきた場所である。現在の物は1514年、シャバイニ朝時代に建てられた。

カラーン・ミナレット
カラーンミナレット

カーランとは、タジク語で大きいという意味。1127年に建てられたブハラのシンボルである。東洋のイスラーム界で優れた建築物の一つで、高さ45.3m、基底部の直径は9m。ミナレットには上ることができるので、頂上からブハラの町と隣のモスクやマドラサを眺めるのは観光のお勧め。

アルク城
アルク城

紀元前3世紀のブハラの最古遺跡。アルクは都市全体を囲み、中には庭や小庭と国家官房、アミール、アミールの妻、親戚や高官の住居があった。城の面積は34,675㎡。時代と共にアルク城が何回も崩され、ブハラの新政府により再建されてきた。最後は16世紀のシャイバーン朝時代に修復され、現在に至る。アルク城内の建物は17世紀から20世紀にかけて建てられたものである。

バラ・ハウズ・モスク
バラハウズモスク

アルク城の向かいに、池のほとりと言う意味のモスクがある。別名40本の柱のモスクと言い、テラスの柱を数えると20本ある。あとの20本は池に映っている。モスクは1712年に建てられ、柱とミナレットは1917に完成。柱は柳、プラタナス、桑の木が使われている。ブハラでは木は貴重で、昔から木は大切にされ、「装飾用として大きな役割を果たしてきた。

サーマーニ廟
サーマーニ廟

サーマーニ朝の王族の霊廟で、サーマーニ王朝時代(785~999)の建築を代表する。建物の形成は四角でドーム型の屋根をし、廟壁の内外は形の複雑な上塗りされたレンガで縦横の入れ替わりの形で築かれ、透かし細工の装飾のモチーフが編細工を作り出している。廟はリングのレンガを整列し、帯状装飾になっている。サーマーニ廟を中央アジア建築の傑作物と言ってもよいであろう。

チャシュマイ・アユブ廟(預言者ヨブの泉)
チャシュマイアユブ廟

サーマーニ公園の出口の方へ向かうと、14世紀から19世紀にかけて何度も建て増しされて面白い複雑な建物が見える。預言者ヨブとの繋がりは、日照りで水不足で苦しんだとき、彼が杖で土を叩くと泉が湧き出したという。その水は眼病に効くと言われ各地から訪れる人が絶えなかった。今でも中に泉があり巡礼者達が手や顔を洗い清める。

スィトライ・モヒ・ホサ
スィトライモヒホサ

ブハラから北に4km離れたところに、素晴らしい夏用の宮殿、スィトライ・モヒ・ホサ(月と星の宮殿)がある。最後のブハラ・ハーンの宮殿であった。1911年に完成した。東西の建築様式が混在しているのが特徴。噴水のために中央アジアで最初の発電機が備え付けられた。室内のクリスタルはポーランド、ランプはオーストリア、鏡はイタリア、床用の板はロシアから運んで来られた物である。

バハウッディン廟
バハウッディン廟

ブハラから12km東、カスリ・アリファン村にあり、1544年に建てられた物。中央アジアで最も影響力を持つイスラーム神秘主義ナクシバンディ教団の改組、14世紀の聖人バハウッディン・ナクシバンドを祀った霊廟で、中央アジアの人々にはメッカに次ぐ聖地とされている。ハウズの傍らに願いの木と呼ばれる桑の古木があり、祈りながら木の下をくぐる信者が多く見られる。

ギジュドゥヴァン
ギジュドゥヴァン

ブハラから約46kmにあるギジュドゥヴァンは、独特な陶器で有名な町である。深い黄色の地に植物、星、太陽の模様が大胆に描かれたもの、緑地に針で模様が描かれたものがある。低温の窯で、裏向きにして焼かれるのも特徴である。工芸体験をしたり、ウズベク料理やホームステイのアレンジもできる工房もある。

パイケンド
パイケンド

ブハラから南西に60kmに位置するパイケンドは、古代ブハラの中心。ザラフシャン川の下流に紀元前4~2世紀末に建国した。パイケンドはシルクロードの中継地として栄え、6~8世紀には中央アジアで唯一独立した商業国として絹の商売が発展していた。8世紀、遊牧民の侵略により崩壊され、ザラフシャン川の氾濫などもあり、その後、立ち直ることができなかった。

日本人墓地
日本人墓地

ウズベキスタンには、いくつかの日本人墓地があるが、ブハラから15km離れた鉄道駅のあるカガンにも159名の日本人が眠っている。ウズベキスタン各地で病気になるとカガンの病院に送られ、治ることのなかった人々がここに埋葬されたという。ロシア人、ドイツ人の墓地もあり、日本人墓地は一番奥。

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